
※このページに掲載されている資料の一部は、旧軽井沢駅舎記念館(軽井沢駅横)で実物をご覧頂けます。

- 「路上の霊魂」 大正10年(1921)
- 松竹キネマ研究所第1回作品。蒸気機関車と旧軽銀座が撮影されている。サイレント(無声)映画である。
- 「マダムと女房」 昭和6年(1931)
- 田中絹代主演、日本初のトーキー映画として軽便鉄道を全国に知らせるきっかけとなった。
- 「彼女はいやといいました」 昭和8年(1933)
- 斉藤達雄・桑野通子主演
- 「カルメン故郷に帰る」 昭和25年(1950)
- 木下恵介監督・高峰秀子主演、我国初のカラー映画、北軽井沢駅が中心に 。

- 「カルメン故郷に帰る」
- 当時の映画ポスター。主人公のカルメン(高峰秀子)が列車から降り立つ駅は北軽井沢駅で、現役の電気機関車デキ12の動く姿がカラーで見られる。
- 「月はとっても青いから」 昭和32年(1957)
- 菅原都々子主演、同名の主題歌とともに大ヒットを記録。
- 「山鳩」 昭和34年(1959)※右写真
- 森繁久弥・岡田茉莉子主演、当時の駅長さんも映画に出演。

- 映画「山鳩」より
- 森繁久弥、岡田茉莉子主演。小瀬温泉駅(映画の中ではからまつ沢駅)を舞台に撮影された。「からまつ沢」は後にバス停留所の名前となった。

電気機関車の時代の「デキ形」は、長いパンタグラフとL字型の車体に特徴がある。自重が軽く、車輪が小さい為に坂の多い軌道上ではスリップ、脱線もあり、特に凍結時には運転が困難だった。
しかし、その姿はかぶとむしの愛称で呼ばれ最も親しまれた。

- 蒸気機関車設計図
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ドイツ、アーサーコッペル社製の
六輪連結タンク機関車設計図
詳細データ

- 電気機関設計図
アメリカ、ジェフリー社製の
デキ形設計図
詳細データ


- 運賃表
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新軽井沢-草津温泉間、約3時間半。
上り八本、下り七本の運転となっている。
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- 切符と運賃表
新軽井沢-草津温泉間210円。
左は当時の切符のかずかず。
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- 帽章・バッチ
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左・帽章、右・書記補以上の草軽社員がつけたバッジ。2個1組で襟につけた。
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- 懐中時計
- 提供 柳沢藤応氏
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昭和37年廃線の後に 草軽電気鉄道株式会社より発行された「草軽電鉄の歩み」より、『四千万尺高原の遊覧列車』をキャッチフレーズに活躍した、草軽電鉄。その路線図を見ると、現在の国道とはまったく異なるルートを通っていたことがわかります。


旧草軽電鉄北軽井沢駅駅舎
(国指定登録有形文化財)
【住所】 群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢
【建築】 昭和5年/平成17年改修
草軽電鉄の沿線で唯一現存する駅舎が北軽井沢駅です。
大正7(1918)年に地蔵川駅として開業し、その後、草津軽便鉄道全線開通の翌年(1927年)に北軽井沢駅となった当時の駅舎は、廃線後の現在も群馬県の長野原町北軽井沢で、時代の流れを見つめながら静かに建っています。
日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」のロケ地にもなった駅で、2006年に国の登録有形文化財として認可されました。ハイシーズンになると多くの観光客が駅舎を訪れ、今では北軽井沢のシンボル的な存在として親しまれています。


- デキ12形13号機(実物保存)
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廃線とともに役目を終えた電気機関車「デキ12形13号機」の実物は、軽井沢駅横の(旧)軽井沢駅舎記念館の隣に、ひっそりと保存されています。
また、木製の実物大模型が2010年7月に復元されました。(旧)北軽井沢駅駅舎の隣に展示され、どちらも多くの鉄道ファンや親子連れに人気です。